作曲家ハイドンさんってどんな人?【番外編】


今晩、音楽フェスティバルに参加している
皆さんのコンサートがあり、とても楽しみです
ここで、優雅にプリンセス気分になれるのも
最後かなと思うと、ちょっと寂しいですが💧



この宮殿の、
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このホールで、
リハーサルをしている
オーケストラを聴きながら、
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その横のバルコニーで、
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1人で、こうして、
ぼーっとする
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(ちなみに、数日前に、
お店のおばちゃんと交渉して、
20ユーロもまけてもらって
購入したイタリア製の
お気に入りの帽子を被っています


が、ここ数日の私の日課でした。
なんという贅沢でしょう




さて、今日は、オーストラリアのハイドンの故郷、
エイゼンシュタットにいるということで、
番外編と名付けて、彼のことを書こうと思います


古典派の代表で、交響曲の父と呼ばれ、
数々の室内楽やオーケストラ、
ミサの曲を作曲した、
フランツ・ヨーゼフ・ハイドン。
彼が作曲した交響曲は108曲にものぼります


私は、ここにくるまで、
彼のことはあまり
知らなかったのですが、
ツアーやレクチャーを聞いていて、
耳が聞こえなくなってしまった、
ベートーベンや、
神童と呼ばれ、若くして、
この世を去ってしまった
モーツァルトから比べると、
天才なのに、比較的、
穏やかな生涯を送ったのではないか
という印象を受けました


ハイドンは、
1732年にオーストリアの
ローラウで生まれ、
歌の才能が開花したため、
ウィーンへ移り、
シュテファン大聖堂の聖歌隊で働き、
声変わりをきっかけに、
作曲家の道を歩み始め、
数々の曲を作曲し続け、
1809年に、77歳でこの世を去りました


きっと、作曲の才能以外に、
コネクション作りやビジネスセンスも
あったのだろうと推測できます

教えを請いにきた若きベートーベンに、
Cマイナーの曲は、
あまり売れないだろうから、
はじめに持ってこない方がいいだろうと、
アドバイスをしたとも言われています


また、ハイドンの交響曲には、
あだ名がついているものがあり、
「驚愕」と呼ばれる交響曲は、
寝ている観客を起こすために、
ゆっくりの曲調のシーンで、
急に大きな音をいれてみたり、
「告別」と呼ばれる交響曲は、
夏の休暇に長期滞在を強いられた、
演奏者たちの、
ストライキの意をこめて、
演奏家が1人1人、
演奏中にロウソクを消しては去っていき、
最後は、ハイドンと、
もう1人のバイオリニストだけしか
残らないという構成の曲があることから、
ハイドンは、遊び心とユーモアの持ち主
だったのではないかと、
私は想像しています


そして、彼は、ワインが大好きで、
報酬を馬車の代わりに、
ワインで払って欲しいと要求したそうです
当時のヨーロッパの水は、きれいではなく、
ワインの方が安全に飲めたということも、
関係しているようですが。


ハイドンの家のツアーでは、
身体の割に、脚が短かったので、
ずっとヒールのある靴を履いていた
というお話も聞きました



そんなハイドン、実は、
亡くなってからのストーリーが、
さらに面白いのです


彼が亡くなった後、
遺体は、ウィーンに埋められていたのですが、
当時のエステルハージ家の主、
ニコラス2世が、ハイドンが生前に、
エイセンッシュタットに、
遺体を埋めて欲しいと
願っていたことを
知っていたので、
埋められてから、11年後に、
彼の遺体を移そうと掘り起こすと、
なんと、遺体の首がなかったのです

実は、埋められてから数日後に、
2人の熱狂的な「ファン」によって、
持ち出されていました。

オーストリアの刑務所管理人である
ヨハン・ペータと、
かつてエステルハージ家の書記で、
ハイドンを尊崇していた
ローゼンバウムです

ヨハン・ペータは、
当時流行っていた、骨相学を信じていたため、
音楽の天才の頭蓋骨を研究するために、
ハイドンの頭を切り取って、
持ち帰ったのです

その研究に、ひと段落ついた後、
ハイドンを崇拝していた、
もう一人の共犯者、
ローゼンバウムによって、
大切に保管されていました。

警察の調査が入った時も、
病気で寝ている妻のベットの下に
隠していたそうです。

ニコラス2世は、
彼が頭蓋骨を持っていることを
知っていたので、
多額のお金を渡して、
買い取ることを、
彼と直接交渉しました

しかし、実際に渡されたものは、
ニセの若い娘のもので、抗議ののちに、
やっと、老人の頭蓋骨が手元に届きました。
これを、ハイドン教会の地下に、
彼の身体と共に埋葬されました

ハイドン教会の地下
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ハイドンが埋葬された場所
(ハイドンの名前のスペルが
間違っているのはなぜなのでしょうか?)
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ところが、この老人の頭蓋骨というのも、
ハイドンのものではなかったのです

ハイドンの頭は、まだ、
ローゼンバウムが所持していましたが、
頭蓋骨からうなり声が聞こえたり、
まるで体を探すように宙を飛び回ったり、
数々の奇妙な事態が起こり始めたので、
頭蓋骨を他人に引き渡しました。

その後の持ち主たちも、
同じような体験をし、
次々に持ち主が代わり、
実に150年もの間、
頭蓋骨は、この世をさまよい続けたのです

1954年、ついに、
ハイドンの頭は、彼の身体と共に、
エイセンッシュタットのハイドン教会に納められました

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身体と頭が一緒にされた時の写真が、
教会の地下に飾ってありました。
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ちなみに、この教会には、
ハイドンが弾いていたオルガンもあり、
しかも、ベートーベンもここを訪れた際に、
このオルガンを弾いたそうです
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バレエとは、
全く関係のない話になってしまいましたが、
とても興味深いストーリーだったので、
シェアしようと思いました
お楽しみ頂けましたでしょうか?


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